「ぼたもち」と「おはぎ」と「あんころもち」の違い・意味と使い方・使い分け

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「ぼたもち」と「おはぎ」と「あんころもち」は、餅菓子の一種です。

「ぼたもち」と「おはぎ」は、もち米とうるち米を等量に合わせて蒸し、粗くつぶしたものを団子にして餡・黄粉・ゴマなどをまぶしたものです。

鎌倉時代の掻餅(かいもち)が起源と言われます。

「ぼたもち」と「おはぎ」の製法に違いはなく、同じものを季節によって「ぼたもち」、または、「おはぎ」と呼んだものと考えられます。

「ぼたもち」は、「牡丹餅」とも書かれ、牡丹の花のように皿に盛り付けたことからこの名になったという説があります。

「おはぎ」と同様にお彼岸に供されますが、春は牡丹を模し、秋は萩を模して盛り付けたので、このような名前になったと云われます。

「あんころもち」は、餅にあんこをまぶした物で「ぼたもち」や「おはぎ」とは全く区別されます。

「あんころもち」は、「餡衣餅」とも書かれ、餅に巻く餡を「衣」と表したことからこの名前になったと考えられます。

「ぼたもち」の意味

もち米とうるち米を混ぜて蒸し、粗くつぶして団子にしたものに餡をまぶして作ります。

黄粉やゴマをまぶす場合もあります。

蒸した米を半分程度つぶすことから「はんごろし・半殺し」と呼ぶ地域もあります。

お彼岸に食しますが、この習慣は江戸時代中期に盛んになりました。

春のお彼岸の頃には、牡丹の花を模して丸くさらに並べて盛ったので、牡丹餅と呼ばれるようになったと云われます。

「おはぎ」の意味

「おはぎ」の製法は、「ぼたもち」と同じです。

「おはぎ」は「萩の餅」の略です。

秋のお彼岸に、餡を衣にした数個の団子を、皿の上に萩野の花を模して盛り付けたことから、この名前になったと云われます。

お彼岸に「牡丹餅」や「お萩」を食すようになったのは江戸時代中期に始まったと云われます。

庶民に大変人気がありました。

そのころ、砂糖が大量に出回って、甘い餡子が消費されるようになったからでしょう。

「あんころもち」の意味

餅に餡をまぶしたもので、牡丹餅やお萩とは製法が明らかに異なります。

「あんころもち」を「餡衣餅」と書くことから、餡によって餅が包まれた状態であることが解ります。

関西では、夏の土用の頃に、「あんころ餅」を食す習慣がありました。

よって、「あんころ餅」は「土曜餅」とも呼ばれました。

これは、夏の農作業の過酷さから、「あんころ餅」を食して精をつけ、夏を乗り越えようとしたものと思われます。

まとめ・江戸時代と和菓子と砂糖

砂糖は、古く奈良時代から日本に入って来たと云います。

しかし、それらは薬として取り扱われていました。

甘味料としては、枕草子にあるように「甘ずら」と呼ばれる草から抽出したものが使われていたようです。

勿論、庶民の口に上るようなものではなく、たいへんな貴重品でした。

江戸時代中期に国産の砂糖が多く生産され、お彼岸に「牡丹餅」や「お萩」が食される習慣が生まれました。

ようやく、庶民の口にも甘味が上るようになったのです。

それまで、砂糖は全くの輸入品で数量がたいへん少なかったので、和菓子の餡は塩味だったと云います。

安土桃山時代に日本に入って来た「金平糖」や「カステラ」などの菓子は、オランダ船が運んできた砂糖によって製造されました。

これらは、信長もたいへん好んだ贅沢な菓子でした。

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