「虚心坦懐」と「虚堂懸鏡」の違い・意味と使い方・由来や例文

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虚心坦懐は「先入観を持たず、広く平らな心であること」。

つまりフラットな状態で何かを見つめることができる、感じることができるという意味になるのです。

虚堂懸鏡は「心を無にして、公平無私にものを見ること」。

公平に物事を観察するには、できるだけ心が無の状態である必要があるでしょう。

虚心坦懐に近い意味の言葉と評価できると思われます。

「虚心坦懐」の意味

虚心坦懐とは、先入観を持たず、広く平らな心であることです。

基本的には物事をフラットに見ることができるという意味で、多くの人たちにとっては難しいことができるという意味になります。

ただ、先入観を持たずに済むためにそういったことが可能であるという言い方もできるはずです。

虚心坦懐に該当する人は、現実的にはほとんどいないと思われるので、そこは知っておきましょう。

「虚堂懸鏡」の意味

虚堂懸鏡とは、心を無にして、公平無私にものを見ることです。

物事を公平な目線で見ていくという意味になりますが、そのためには心を無にする必要があります。

実際にそういった状況を作るのは難しいと言えるものの、全くありえないとは言い切れないので、現実において使える可能性は一応残ります。

でも、このような状況に当てはまる人はほぼいないでしょうけど。

「虚心坦懐」と「虚堂懸鏡」の用法や用例

「虚心坦懐のようなものの見方ができる人は少ない。

たいていは無意識のうちに先入観を持っている人が多いんだ。

ここはどうしても消えない部分と言えるだろう。」

「物事をできるだけ公平に見るためには心を無にする必要がある。

虚堂懸鏡のような境地に至る必要があるわけだが、現実的にはかなり厳しいだろうね。

まず無理な発想だよ。」

虚心坦懐と虚堂懸鏡はともに公平なものの見方をする言葉

虚心坦懐と虚堂懸鏡はともに公平なものの見方をしていくという意味の言葉です。

虚心坦懐は先入観を持たないことで、虚堂懸鏡は心を無にすることで、そういった部分を実現していきます。

多少なりとも意味が違っている部分はあるものの、大部分は同じと評価できると言えるでしょう。

虚心坦懐の方がやや有名だと思われる状況ですが。

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