世知辛いは「世渡りのすべのこと」「処世術」と言い換えると分かりやすい。
詫び住まいは「貧乏をして暮らすこと」。
「貧乏暮らし」と言い換えると分かりやすい。
「世知辛い」は「世知」のことつまり「世渡りの知識、処世術が溢れる世の中を避け貧乏をすること」に通じます。
「詫び住まい」はひっそり暮らすということと貧乏暮らしと言う意味があります。
どちらの言葉も「貧乏」と言う共通した言葉が関係しています。
「世知辛い」は生きづらいこと
「世知辛い」の「世知」は「世渡りの知識」のことで、つまる所いかにお金を儲けるかと言う才覚のことです。
「辛い」は強調の意味ですから、「処世術、才覚」の修得が出来ないことになります。
才覚が無ければお金に縁は無く貧乏暮らしとなります。
ですから生きづらくなるのです。
「世知辛い世の中」は「処世術に長けた人が多く、生きるのが難しい世の中、生きづらい世の中」と言う意味です。
「詫び住まい」は貧乏でもひっそりと生きていくこと
「詫び住まい」はひっそりと生きることですが、貧乏生活の人も言います。
世渡りがうまく行かず、結果として貧乏生活になるのです。
「羽振りの良かった会社の経営者は倒産後、ひっそりとわび住まいをしているらしい」「世知辛い世の中なので、ひっそりとしたわび住まいの方が身に合っている」世知辛い世の中についていけず、わび住まいとなった」などと使います。
「世知辛い」から「詫び住まい」となる
「世知辛い」世の中のために、才覚が無く平凡な庶民は貧乏生活となり、ひっそりと暮らすのです。
「世知辛い」は「生きにくいこと」ですが「生きにくい」とはお金に苦労することになります。
一部の高齢者は年金生活をし、また、借家住まいをしています。
ですから、稼ぎは無くどちらかと言うと貧乏暮らしとなり「詫び住まい」となるのです。
「世知辛い」と「詫び住まい」とは
「世知辛い」は「世知」と言う処世術が横行している世の中は「生きづらい」ことを言います。
結果として貧乏暮らしの「詫び住まい」となるのです。
「辛い」は「世知」を強める言葉ですから、「世知、つまり処世術、世渡り知識、才覚」などが溢れる世の中は生きづらいものだと言う意味になります。
であれば「詫び住まい」となりひっそりと貧乏生活になるのです。