竹頭木屑は「役に立たないもののこと、どんなに役に立たないものでもいつかは役に立つかもしれないこと」。
こういった意味で使われますが、両方とも重要な意味になりますから、ともに知っておく必要があります。
鶏鳴狗盗は「ニワトリの鳴き真似や犬の真似しかできないような、くだらない存在のこと」。
要するに役に立たない存在という意味ですが、こちらも役に立たないものであっても、いつかは役に立つかもしれないという意味が含まれています。
「竹頭木屑」の意味
竹頭木屑とは、役に立たないもののこと、どんなに役に立たないものでもいつかは役に立つかもしれないことです。
役に立たないという単純な意味で使うこともできますけど、役に立たないと思われているものが役に立つかもしれないという意味でも使えるので、使用できるシーンは幅広いです。
でも、実際は役に立たないという意味で使用されることの方がかなり多いでしょうけど。
「鶏鳴狗盗」の意味
鶏鳴狗盗とは、ニワトリの鳴き真似や犬の真似しかできないような、くだらない存在のことです。
基本的には役に立たないという意味で使っていきますけど、役に立たないように見えて実は役に立つときがあるという意味でも使えるので、その点も実は共通しています。
鶏鳴狗盗の方が表現としてはやや有名と言える可能性があるので、そこは理解しておくといいのではないかと思われます。
「竹頭木屑」と「鶏鳴狗盗」の用法や用例
「竹頭木屑というのは、基本的に役に立たない存在に対して使われる言葉だ。
でも、そんな存在であっても常に役に立たないかと言われれば、そうではないんだよな。」
「くだらない存在と思われるような、鶏鳴狗盗と揶揄されるようなものであっても、ときには役に立つことがある。
だから、すぐには見限らない方がいいんだよね。」
竹頭木屑と鶏鳴狗盗はほぼ同じ意味
竹頭木屑と鶏鳴狗盗に関してはどちらも役に立たない存在という意味がメインで、それとは別に役に立たないものでも、ときには役に立つ瞬間があるかもしれないという意味でも使われています。
だから、両者は意味において違いはほぼないと言えるのです。
ただ、この2つにおいては鶏鳴狗盗の方がやや名ジャーと言えるので、そこは知っておくといいです。