「浮石沈木」と「三人成虎」の違い・意味と使い方・由来や例文

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浮石沈木は「一般大衆の無責任な発言などが道理に反して大きな威力を持つこと」。

中身のない、適当な発言だったとしても、それ自体が社会の中で多くの人たちに支持され、正しい意見であるかのような雰囲気になるケースで使っていきます。

三人成虎は「嘘や噂であっても多くの人たちがの話題にすれば、みんながそれを信じてしまい、真実のようになること」。

中身のない発言であるにもかかわらず、社会の中で支持される状況となるケースを表しています。

「浮石沈木」の意味

浮石沈木とは、一般大衆の無責任な発言などが道理に反して大きな威力を持つことです。

無責任な発言であっても、どれだけ中身がない発言であっても、それに共感する人間が多くいれば、それ自体支持されてしまう状況を迎えるのです。

大衆の場合、最大の有利な部分は数の多さなので、そこに関してはなかなかどうしようもないと言えるはずです。

「三人成虎」の意味

三人成虎とは、嘘や噂であっても多くの人たちがの話題にすれば、みんながそれを信じてしまい、真実のようになることです。

実は根拠がない、乏しいと言えるような発言であっても、その内容を直感的に信じてしまう、共感してしまう人が多くなると、それが真実という扱いになってしまうので、浮石沈木と同じような意味であると解釈できます。

「浮石沈木」と「三人成虎」の用法や用例

「いじめ加害者というレッテルを貼られると、いくらそれがおかしいことを説明しようとしても、世間は聞く耳を持たない。

誰が悪い、悪くないを一方的に決めつける浮石沈木の状態となるのだ。」

「冤罪というのは社会が後押しする部分があると思う。

1度犯人として報道されると、その人が犯人なんだと大衆は決めつけ、犯人で間違いない、三人成虎という雰囲気になるから。」

浮石沈木と三人成虎は戒めの意味で使われる言葉

浮石沈木と三人成虎はどちらも世間が妥当ではない解釈、判断をしているのに、それ自体が間違っているという雰囲気にならない、むしろそれが本当であるという雰囲気になってしまうという意味で使われている言葉です。

つまり、多くの人たちが口にしていることは必ずしも妥当性がない、そういう戒めの意味を込めた言葉とも言えるわけです。

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