「敵愾心」と「闘争心」の違い・意味と使い方・由来や例文

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敵愾心は「相手に対する憎しみの気持ちのこと。」

「憎しみ」と言い換えると分かりやすい。

闘争心は「相手に対する負けまいとする気持ちのこと」。

「負けん気」と言い換えると分かりやすい。

「敵愾心」は相手を憎い敵とみなして闘争心を持つことです。

「闘争心」は闘う気持ちのことで、絶対に負けまいとする気持ちのことです。

「敵愾心」は憤り闘う気持ちのこと

「敵愾心」の「愾」は「憎むこと、憤ること」と言う意味があり、それに「敵」が付けば、「相手を敵と見做し憎み憤り、闘うこと」となります。

例えば、仮に戦争が起きれば、当然国民は相手国に「敵愾心」を起こすことになります。

そこには「憎しみ」の感情があるからです。

戦争ではなく国際紛争でも「敵愾心」は起きてしまう感情なのです。

「闘争心」は闘う気持ちのこと

「闘争心」はスポーツや勝負事で絶対に負けないという強い気持ちで戦うことを言います。

「敵愾心」とは異なり、相手を憎む気持ちはありません。

闘うにしてもフェアな気持なのです。

そこに「敵愾心」があれば、アンフェアな醜い戦いになるでしょう。

国際スポーツ大会で一部の国がそのような醜いことを起こしたことが過去にありました。

「闘争心」は持っても、持ってはいけないのは「敵愾心」

「敵愾心」は武力衝突でも起きない限り持たないものですが、いわれもなく持たれた方は迷惑なことです。

「闘争心」はスポーツの世界や勝負の世界では当たり前に持つものですことですが、「敵愾心」は禁物です。

「敵愾心」をあらわにされることは、不愉快極まることで相手にもしたくないのです。

フェアな「闘争心」ならば問題はありませんが、「憎しみ」をスポーツに持ち込むことは馴染まないことなのです。

「敵愾心」と「闘争心」とは

「敵愾心」は相手に対して憎しみを抱いて闘う気持ちのことです。

「闘争心」はフェアプレーの精神に則った健全な闘う気持ちのことです。

同じ闘う気持ちでも、一方は人間の負の部分であり、他方は正の部分であるのです。

スポーツや勝負事に「敵愾心」は不要なもので「闘争心」だけで充分と言えますが、その基本的なことが守られないことがたまに起きるのは民度の違いと言えます。

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