神妙は「神がかった不思議なこと、または態度が素直なこと」。
「素直」と言い換えると分かりやすい。
殊勝は「ことさら優れていること、または態度が素直で感心なこと」。
「感心」と言い換えると分かりやすい。
神妙の本来の意味は神がかったことですから、転じて神がかったことに接したかの様に態度が素直になることです。
殊勝はもともと仏教でいう殊さら優れていることですから、転じて心掛けが良いことなどになりました。
「神妙」は神がかったこと
「神妙」の「神」も「妙」も「不思議なこと」と言う意味があります。
「人間を超えた神がかった不思議なこと」に接した人がするような、かしこまった素直な態度のことを言います。
「先生の前では神妙な顔をしているいたずら小僧」「罪を犯した者が自ら名乗ってくるとは神妙なことだ」「御用だ、神妙に縛に付け」「被告人は裁判官の前で神妙になった」と使います。
「殊勝」は特に優れた意味
「殊勝」は仏教用語では謙虚さがある行動や心掛けのことを特に優れていることの意味とし、よって「感心な態度・素直な行い」などになりました。
「毎日黙々と掃除をしていることは、誠に殊勝なことだ」「欠かさず散歩を兼ねて歩行訓練をしているとは、殊勝な心掛けだ」「自ら自白し反省するとは、殊勝なことだ」などと使います。
「神妙」も「殊勝」も時代劇言葉
「神妙にしろ」「殊勝である」などは時代劇で良く耳にする言葉です。
捕り物で悪人を前に「御用だ、御用だ、神妙にしろ!」「神妙に縛に付け!」などと言います。
お白州の場面では「誠に殊勝である」「それは殊勝なことだ」などが出てきます。
現代でも普段と違った態度でいると「神妙な態度・神妙な顔つき」「殊勝な態度」などと使います。
「神妙」と「殊勝」とは
「神妙」は普通と違った感じの素直な態度や言動のことです。
「殊勝」も同じく普段より素直な感じがする態度で、感心だと思うことです。
また、どちらもかしこまった態度で素直に人の言うことを聞く様子のことも言います。
特に普段反抗的で生意気な人について使う言葉でもあります。
「神妙な態度」も「殊勝な態度」もかしこまって素直になっていることです。