言葉の違い 「虫の息」と「瀕死」の違い・意味と使い方・由来や例文 虫の息は「呼吸が今にも絶えそうなくらいに弱々しく感じられる状態のこと」。そういう息に対して使っていきますが、滅多に使われない表現です。しかし、知名度は高いと言えます。瀕死は「今にも死にそうな状況であること」。すぐに処置をしないと、死にそうであるというケースで使います。かなり危険な状況であると言えるのです。 「虫の息」の...
言葉の違い 「虫の知らせ」と「胸騒ぎ」の違い・意味と使い方・由来や例文 虫の知らせは「何かよくないことが起きそうな状況であること」。そんな予感がするようなシーンで使っていく言葉になるので、そこは理解しておかないといけません。胸騒ぎは「何か問題が起きそうな予感がして、落ち着かない状況のこと」。虫の知らせと意味はかなり近いです。知名度の部分においても、似ていると言えるでしょう。 「虫の知らせ」...
言葉の違い 「手塩にかける」と「目をかける」の違い・意味と使い方・由来や例文 手塩にかけるは「他人に任せないで、自分で世話をして大切に育てていくこと」。人間に対して使用することが多いですけど、そうではない存在に対しても使っていくことができます。目をかけるは「贔屓すること、注意して見ること」。手塩にかけるの意味とは同じではないですが、贔屓するという部分はやや似ていると言えるでしょう。 「手塩にかけ...
言葉の違い 「なにがし」と「誰がし」と「それがし」の違い・意味と使い方・由来や例文 「なにがし」と「誰がし」と「それがし」は、具体的な名前を挙げないで、その人を指し示す言葉です。英語では「so-and-so」で表されます。 ☆so-and-so 名詞です。「誰それ・なんとかさん・何々」「遠回しな表現で、あいつ・やつ・いやなやつ」という意味です。 英語の類語は「something」です。 ☆「某彼某・そ...
言葉の違い 「井蛙大海を知らず」と「井の中の蛙」の違い・意味と使い方・由来や例文 井蛙大海を知らずは「限られた世界でのみ生活しているため、それ以外の世界のことを知らないこと」。見識が狭いという言い方ができる表現になるでしょう。井の中の蛙は「自分の狭い見識のせいで、他に広い世界があることを知らないこと」。井蛙大海を知らずと意味は全く同じです。そういう箇所において、区別をすることは厳しいです。 「井蛙大...
言葉の違い 「蛙の面に水」と「暖簾に腕押し」の違い・意味と使い方・由来や例文 蛙の面に水は「どんな仕打ちに対しても反応がない、何も感じないこと」。使うことができるシーンはたまにはあるかもしれませんが、そんなに多くはないかもしれません。暖簾に腕押しは「相手の反応が全くないこと、張り合いがないこと」。意味は蛙の面に水にそれなりに似ていると言えます。でも、知名度はこっちの方が明らかに高くなっています。...
言葉の違い 「蛙の子は蛙」と「この親にしてこの子あり」の違い・意味と使い方・由来や例文 蛙の子は蛙は「子供の能力や性質に関しては、親に似るということ」。つまり、いろいろな面で親と同じような子供が生まれるという意味で使う言葉になります。この親にしてこの子ありは「このような親だからこそ、このような子供が生まれるということ」。いい意味でも、悪い意味でも使われる言い方です。蛙の子は蛙の意味にやや近いです。 「蛙の...
言葉の違い 「猿の尻笑い」と「目糞鼻糞を笑う」の違い・意味と使い方・由来や例文 猿の尻笑いは「自分の欠点を見過ごして、他人の欠点を馬鹿にすること」。そういう状況において使う言葉です。いろいろな人に当てはまっている可能性がある言葉です。目糞鼻糞を笑うは「自分にもある欠点について、相手に同様のものがあったときに嘲笑うこと」。猿の尻笑いと意味は同じです。でも、こっちの方が知名度は上です。 「猿の尻笑い」...
言葉の違い 「牛追い牛に追われる」と「牛は嘶き馬は吼え」の違い・意味と使い方・由来や例文 牛追い牛に追われるは「物事が逆であること、思いもよらない状況のこと」。結構使いやすい言い方であると評価できます。多くの場面で使っていくことができそうです。牛は嘶き馬は吼えは「物事が逆さまであること」。意味は牛追い牛に追われると同じでしょう。同じシチュエーションにおける使用が可能という点は重要になってきます。 「牛追い牛...
言葉の違い 「牛の寝たほど」と「山ほど」の違い・意味と使い方・由来や例文 牛の寝たほどは「ものがたくさんある状況のこと」。こういった意味ですから、日常生活の中でかなり使いやすいのではないかと思われます。そんなにメジャーではないですが。山ほどは「数量がとても多いこと」。牛の寝たほどと意味はあまり変わりません。しかし、多くの場合、山ほどの方が使われやすいです。これはかなり有名な言葉です。 「牛の...