いざよいは「十六夜のこと」。
「月夜」と言い換えると分かりやすい。
いざようは「ためらうこと、迷うこと」。
「ためらい」と言い換えると分かりやすい。
「十六夜」は陰暦16日の月のことで、ほとんどが満月の翌日に当たります。
「いざよう」は「十六夜」の語原となる言葉で、「ためらうこと、前に進めないこと」の意味になります。
満月より遅く出ることが由来となっています。
「いざよい」は十六夜の月のこと
「いざよい」は満月の翌日に満月より遅く出てくる月のことを言いました。
月出を躊躇しているのではと昔の人は考えて付けた名前です。
実際は躊躇などしていないことは明らかですが、そのように見立てた昔の人は風流と言えます。
月の出と月の入りは毎日50分ほど遅くなります。
満月は15日ですから翌日の16日の月もほぼ満月状態ですが、小一時間も遅くなるのが不思議であったと思われます。
「いざよう」は猶予と書く言葉
「いざよう」は「猶予う」と書きます。
「執行猶予」の「猶予」ですから、すぐに行わないこと、刑をためらうことなどとなり、「躊躇する、遅れる」などの意味になりました。
「旧暦16日の月、十六夜」の語原で、動詞「いざよう」の連体形で名詞として使っています。
なお、上代は「いさよう」と濁らなかったと言われています。
「いざよう」の連体形が「いざよい」
「いざよう」はラ行五段活用の「いざる」という動詞に「ようだ」という推定などの助動詞が付いた形の動詞になります。
その連体形が「いざよい」となるのです。
「いざる」は「座ったまま進む」ということですから「いざよう」は「座ったまま進んでいるようだ」となり、転じて「躊躇して前になかなか進まない」となったものです。
「いざよい」と「いざよう」とは
「いざよい」は「十六夜」の月のことで、旧暦15日の満月の翌日にあたる16日に出る月のことです。
ほぼ満月と変わらない姿ですが、満月より50分ほど遅い月出になります。
昔の人はそれを「躊躇している月」と思ったのです。
「いざよう」は「いざよい」の語原の動詞で、「躊躇する」という意味になります。
「いざよう」は「いざう+ようだ」と分けられ、「座って進んでいるように前に進まない」という意味になり「躊躇する」となったものです。