「帰天」と「帰幽」の違い・意味と使い方・由来や例文

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「帰天」と「帰幽」は、どちらも人が亡くなったことを表す言葉です。

ただし、宗教によってどちらが使われるのかが異なります。

「帰天」は、キリスト教においてカトリックの信者が亡くなった際に用いられます。

一方、「帰幽」は、神道の信者が亡くなった際に用いられます。

これらの違いがあるのは、キリスト教と神道それぞれの死生観の違いがあるからです。

「帰天」の意味

「帰天」とは「天に帰る」こと、すなわちキリスト教のなかでもカトリック信者が亡くなることを意味します。

キリスト教の世界では、人が死ぬと天国に行くことになるという考え方が根底にあります。

天国は、キリスト教を信仰した者の魂が永遠の祝福を受ける場所であるとされ、そこには、万物を創造した神が存在しているとされています。

「帰幽」の意味

「帰幽」とは「幽世(かくりよ)に帰る」、つまり神道信者が亡くなることを意味します。

神道では、普段私たちが生きている世界を「現世(うつしよ)」と言います。

人が現世に生まれるのは、神々と祖先のおかげであるとされています。

そして、やがて人が死ぬときに幽世に魂が帰り、最終的には祖先にあたる神々のもとに帰るということになるのです。

「帰天」「帰幽」はどちらも現世があり、死後の世界があるという考えに基づく

「帰天」も「帰幽」も、そもそもキリスト教・神道とも現世と死後の世界があるということが共通点として挙げられるでしょう。

キリスト教における「天国」、神道における「幽世」とも死後の世界として信じられているものです。

人の死の先に、別の世界が広がっているという宗教的な考え方があるからこそ、「天に帰る」「幽世に帰る」という表現になるのです。

死を婉曲的に表現する「帰天」「帰幽」

人はやがて死ぬことになります。

死というのは私たちにとっては、直接的な表現を避ける傾向にあります。

あえて「死」と言わず、亡くなればある別世界に帰っていくという意味を込めて、キリスト教、とりわけカトリックで用いられる「帰天」、神道における先祖の神々が待っている幽世に帰っていくという意味の「帰幽」が用いられるのは、このような死を直接口にすることが憚られるということがあるからです。

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