「観念する」と「妥協する」の違い・意味と使い方・由来や例文

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観念するは「諦めること、受け入れること」。

特定の状況において、諦めた末に何らかの提案を受け入れるようなシーンで使います。

妥協するは「満足いく形ではないが、事態の解決を図るために特定の選択をすること」。

本人にとって満足いく形ではないものの、特定の選択をした方がマシだと感じるようなシーンで妥協するという状況を迎えるのです。

「観念する」の意味

観念するとは、諦めること、受け入れることです。

特定の状況において、望みを達成することを諦め、相手の提案などを受け入れる際に使います。

観念をしなければ、抵抗する状況となるわけですが、そういった行動をとることをやめて相手の提案に乗り、主導権を譲るようなシーンで使います。

何らかの対立が発生しているようなシーンで使うことが多いと言えるでしょう。

「妥協する」の意味

妥協するとは、満足いく形ではないが、事態の解決のために特定の選択をすることです。

その選択は本人にとって望ましいものとは言えなくても、その選択をとることが現状ではもっともマシと言えるようなシーンで使います。

妥協するという状況は人生において数多くあるはずですから、妥協するという言葉に関しても無意識に使っている可能性は高いです。

「観念する」と「妥協する」の用法や用例

「このまま労働者と会社で対立を続けていても、埒が明かない。

それどころか労働者側にとってどんどん不利な状況になっていく可能性がある。

これはもう観念した方が良いかもしれない。」

「第一志望の大学に合格できなかったから、浪人をしようと思ったけど、ここは第二志望の大学で妥協することにしようかな。

来年挑戦しても同じところに受かる保証もないし。」

観念すると妥協するはともに満足していない状況を示している

観念すると妥協するに関しては、細かい部分で意味は異なっていますけど、どちらも満足していない状況を表しています。

ある決断をすることに決めた状況を示しているものの、本人の心の内は不満が少なからず存在しているのです。

そういった部分では共通の言葉と言えます。

したがって、明確に区別をしていく必要があると言えるでしょう。

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