両方ともに、外界との相互作用によって得たことを言いますが、「経験」によって得たことが知識や技能であるのに対して、「体験」によって得たことは、より肉体的な感覚を含んでいます。
例えば、「戦争を経験する」、または、「戦争を体験する」と言った場合、両方ともに実体験を意味しますが、「体験」の方は、より肉体面を強調しています。
「経験」は「習得した知識・技能」を表しており、用途は、体験よりも広いと考えられています。
学習や技能を表す場面では「体験」は使いにくいものとなっています。
「体験」は、実際に見たり聞いたりした実体的行為を強調する場面で使用されます。
その行為自体が印象的だからです。
「経験」の意味
端的に言えば、自分で実際に見たり聞いたり行ったりすること、それによって得た知識という意味です。
「経験」とは、自分以外の物との相互作用によって得た知識や技能のことです。
その過程を認識することも含みます。
その結果、自分自身の認識も変化し、知識や技能が豊かになったと実感できます。
その用例としては、「貴重な経験」や「経験を生かす」や「人生経験が豊かな人」が挙げられます。
「体験」の意味
経験が一般的・客観的であるのに対し、体験は個別的・主観的であると云われます。
「体験」は、自分自身の体を通して経験することを云います。
例としては、「初体験」や「体験談」などが挙げられます。
どちらかと言えば、生々しい感覚を含みます。
生々しい感覚を含む言葉の用例として、「戦争を体験する」や「昨夜恐ろしい体験をした」や「神秘体験」などがあります。
「経験」と「体験」を漢字の字義で比べると
「経」は、「ふる・めぐる」という意味です。
例としては、「経由」があります。
「経」には、「縦糸」「たて」という意味を含みます。
文字の字義は「機おりの縦糸」を表しています。
「体」は、「からだ・身体・肉体・かた・形体・体裁」などの意味があります。
また、「身につける」「自分自身で行う」という意味も含まれます。
体の古字は、「體」です。
豊の部分は、「多くの物が蜜度高く集まる」という意味です。
つまり、「多くの骨が集まって成る物」が「体」というわけです。
「験」は、「あかし」「ききめ」「調べる」という意味があります。
「ためす」「実験」「試験」「修験道の効果」という意味も含まれています。
これらから、「経験」が「時間をかけて調べる・試す」という意味から成った言葉であるのに対し、体験が「自分の体で試す」という意味で成った言葉であることが解ります。
辺見マリの「経験」
辺見マリが歌った「経験」(けいけん)は、1970年5月11日にリリースされました。
以下の歌詞で始まる歌です。
やめて 愛してないなら~♪
やめて 口づけするのは~♪
やめて このままかえして~♪
あなたは わるい人ね~?
作詞 安井かずみ・作曲 村井邦彦です。
「経験」は、その歌詞の内容から言うと「経験」より「体験」がふさわしいのではないかと思います。
しかし、放送される場合「体験」では扇情的すぎると考えられた結果、「経験」というタイトルになったのかもしれません。