「求道者」の意味と使い方・由来や例文

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「求道者」とは、その文字の通り「道を求める人」のことです。

道というのは「正しい道」ということで、仏教や、キリスト教が示す道を主とした、宗教のことを表す場合が多いようです。

読み方には「きゅうどうしゃ」と「ぐどうしゃ」の2通りがあります。

文学や詩歌では「ぐだうしゃ」とふりがなをふられているものありました。

「求道者」の意味

求道者には、「きゅうどうしゃ」と「ぐどうしゃ」の2通りがあると書きました。

「きゅうどうしゃ」というのは、キリスト教の洗礼を受ける前の段階の人のことを指します。

「ぐどうしゃ」というのは、仏教徒で、煩悩を捨て悟りを開くために修業をすることです。

どちらも神様・仏様の御言葉を理解しようと精進する、修行をする人の意味になります。

「求道者」の使い方

・あの夫婦は、最近求道者会に入り、じきに洗礼を受けるようだ。

キリスト教の教会には、洗礼を受ける前に聖書や祈祷について勉強をする、「求道者会」があります。

日曜日の礼拝以外にも、キリスト教を学ぶ初心者を、信者や神父(カトリック)牧師(プロテスタンド)、信者が求道する人をフォローします。

求道者を経て、洗礼を受けた後は、キリスト教信者(クリスチャン)と呼ばれるようになります。

「求道者」と呼ばれる人々

正しい道を求めて、宗教を学び、信仰が伴う人のこと。

宗教について、調べたり、比較をしたり、統計をとったり、歴史的に分析する人もいます。

客観的に宗教について、勉強することは、求道ではないと思います。

そこに信仰があり、自分を鍛錬し、仏教であれば悟りを開くために進む人。

キリスト教であれば、イエス様の教えを行う人。

自分を戒め、神様の道を追い求める人が、求道者と呼ばれる人だと思います。

「求道者」まとめ

求道者(きゅうどうしゃ)は、キリスト教を信仰する、洗礼を受ける前の人。

求道者(ぐどうしゃ)は、仏教徒で、悟りをひらくために修業をしている人。

いずれも神様・仏様の心理を求めて、生きている人のことを指します。

人生に迷った時や、困った時、うまくいかないときなど、神様の言葉を聞いてみようと思う気持ちが求道の第一歩かもしれません。

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