「教育」と「洗脳」の違い・意味と使い方・使い分け

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教育は「国や社会にとって望ましい人間に育てようとすること」。

学校に通わせることでそれを実現しようとしているケースが多いです。

洗脳は「特定の人間や集団にとって、望ましい価値観や考え方を植え付けること」。

この場合の価値観や考え方は社会的に許容されるもの、されないものの両面を含んでおり、ときには反社会的な人間が作られる場合もあります。

「教育」の意味

教育というのは、家庭や学校などで行われるもので、社会で生きていくうえで望ましい人間像を作り上げるものとなっています。

基本的には国や社会にとって都合のいい人間を作るために行われているので、教育を受けた本人にとっては必ずしも望ましい状況が実現されるとは限らない場合があります。

しかし、多くの国民が教育それ自体を常識と考えているために、教育そのものを否定する声はほとんどないのが現状です。

「洗脳」の意味

洗脳というのは、特定の人物や集団などにとって都合のいい人物にするために、特定の人物に特定の価値観や考え方を植え付けることです。

教育は反社会的な人間にならないような価値観や考え方を植え付けますが、洗脳はそういう価値観や考え方を植え付けるケースも含まれます。

教育と同様に洗脳をされる本人にとって望ましい状況になるとは限らないということも言えますが、教育とは違って洗脳そのものに関しては批判的な声も多くあるのです。

「教育」と「洗脳」の用法や用例

「大人になったらきちんと働いて、税金を納めていくというのがまともな人間の典型例であり、国は教育を通じてそういう人間を育成しようとしている。

国にとって都合のいい存在を作り上げるのが使命なわけだ。」

「洗脳をされて犯罪者になった人は多くいる。

洗脳は特定の人たちや集団にとって都合のいい存在を作り上げることだから、彼らにまんまと利用されてしまったということだ。」

教育と洗脳は本質的には違いは微々たるもの

教育と洗脳というのは言葉のイメージは大分違いますが、特定の層にとって都合のいい存在を作り上げるという目的や手段はほぼ同じです。

あとはそれが社会にとってどれだけ許容されるかという違いになります。

教育は当たり前のものとなっており、多くの人にとってメリットを感じやすいために許容されやすいですが、洗脳は犯罪などに関係することもあり、多くの人にとってデメリットを感じさせる面もあるので、許容されづらい雰囲気になっているのです。

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