多情多感は「感情が豊かであるため、物事に対して感じやすい状況であること」。
特定の物事からいろいろな感情を得ることができる、いろいろな感じ方ができるという意味になるのです。
多情多恨は「感情が豊かであるために、悔やむ、恨むといった気持ちがよく芽生えてくること」。
こちらも感情が豊かであるという意味ではありますけど、浮かんでくる感情は限定されている点が特徴でしょう。
「多情多感」の意味
多情多感とは、感情が豊かであるため、物事に対して感じやすい状況であることです。
感情が豊かであるので、その部分に関して敏感であるという言い方もできます。
何らかの出来事が発生したときに、いろいろな感情が芽生えてくる点が特徴であり、他人には感じられない気持ちなどが想起する状況も十分にありえると言えるはずです。
日常生活においてはあまり使われない言葉と言えるでしょう。
「多情多恨」の意味
多情多恨とは、感情が豊かであるために、悔やむ、恨むといった気持ちがよく芽生えてくることです。
多情多感と同じような意味ではありますが、こちらは悔やむとか、恨む気持ちが芽生えてくるシーンでよく使います。
つまり、どんな感情でもいいわけではないので、そこはしっかりと覚えておく必要があるでしょう。
多情多感と比べると、そこまでメジャーな言葉ではないので、知らない人もそこそこいそうです。
「多情多感」と「多情多恨」の用法や用例
「多情多感な人というのは確実にいる。
そういった人の場合には、感受性が人並み以上と言えるため、いろいろな物事に動じやすく、いろいろな感情が芽生えてくるんだ。」
「多情多恨な人の場合、後悔や憎悪の気持ちが芽生えやすい。
つまり、日常的にそういった感情で苦しむことがあるということだ。
大変な部分を抱えているということだね。」
多情多感と多情多恨は微妙に意味が違う
多情多感と多情多恨はともに何らかの感覚に関して敏感であるという意味の言葉です。
したがって、割と意味は似た状況と言えます。
ただ、多情多感はいろいろな感情に対して使うことができますけど、多情多恨については後悔や憎悪の気持ちに限定されます。
そこが大きな違いになるので、しっかりと理解しておかないといけません。