「滞言滞句」と「尋章摘句」の違い・意味と使い方・由来や例文

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滞言滞句は「言葉にばかりこだわり、本質的な部分が理解できないこと」。

言葉というのは、レッテルなどの表現で代用できますが、そこにこだわるあまり本質部分に注意が向かないケースで使います。

尋章摘句は「些細なことばかりにこだわって、広く全体を見通したものの見方ができないこと」。

細かい部分を気にしすぎるあまり、大切な部分に注意を向けることができないという意味です。

「滞言滞句」の意味

滞言滞句とは、言葉にばかりこだわり、本質的な部分が理解できないことです。

本質的な問題を理解せずに、特定の言葉にばかり気をとられてしまう状況を指す言葉です。

このような状況は現実においてよく見られるもので、多くの人たちが無意識に陥っている可能性があります。

問題はそこではないと言いたくなるような状況を多くの人たちが無意識のうちに実現してしまっているのです。

「尋章摘句」の意味

尋章摘句とは、些細なことばかりにこだわって、広く全体を見通したものの見方ができないことです。

どうでもいいと言える部分にこだわるあまりに、より重要な全体を見ることができないという意味ですから、滞言滞句に近い意味の言葉と評価できると思われます。

同じようなシーンで使用することが可能と言えるでしょう。

違いはあまりない状況と評価できるはずです。

「滞言滞句」と「尋章摘句」の用法や用例

「滞言滞句のような状況は割と見られる。

特定の言葉にこだわるあまり、何が問題かが見えてこないケースは日常生活でよくあるんだ。

何かしらのレッテルに踊らされないようにしないとな。」

「尋章摘句の状態になると、まさに木を見て森を見ずのケースと同じである。

この場合には、些細な部分に囚われて、全体を見ることができないわけだから。

滞言滞句と尋章摘句は大切な部分を見ることができないという意味で使用する

滞言滞句と尋章摘句は微妙に意味が異なっていますけど、両者ともに結局は大切な部分を見ることができていないという意味で使っていくのです。

些細な部分、どうでもいい部分にばかり注目してしまった結果、そういったところに全く目がいかないというケースで使っていくので、だいたいの意味は似ている状況と評価できるはずです。

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