百戦錬磨は「戦いなどの経験を豊富に積んできたことで、非常に鍛え上げられている状況であること」。
精神面や肉体面が過去のいろいろな経験によって非常に強くなっているケースで使います。
飽経風霜は「厳しい世の中の苦労を多く経験してきたことで、世渡り上手で強かであること」。
経験を積んできたことで、結果的に世渡りができるようなスキルを身に付けられたケースで使います。
「百戦錬磨」の意味
百戦錬磨とは、戦いなどの経験を豊富に積んできたことで、非常に鍛え上げられている状況であることです。
何らかの戦いに関する経験をこれまで何度もしてきたために、肉体や精神が非常に鍛えられているという意味で使っていきます。
百戦錬磨という表現は相当メジャーであり、聞いたことがない人はほぼいないはずです。
いろいろなシーンで見聞きしやすい言葉です。
「飽経風霜」の意味
飽経風霜とは、厳しい世の中の苦労を多く経験してきたことで、世渡り上手で強かであることです。
多くの経験を積んできているという部分は百戦錬磨と同じですけど、こちらに関しては戦いに関する経験とは言えません。
特に細かい指定はないので、いろいろな経験に対して使うことができます。
そして、結果的に世渡りが上手くなっているという部分はポイントになるでしょう。
「百戦錬磨」と「飽経風霜」の用法や用例
「俺は今まで喧嘩を数多く経験してきた。
したがって、そういった百戦錬磨の部分があるから、今回は負ける気が全くしない。
喧嘩については熟知しているつもりだからな。」
「飽経風霜と言えるほどに、俺は世の中についていろいろなことを知っているつもりだ。
特に世渡りの部分に関しては誰よりも心得ていると自負しているんだよ。」
百戦錬磨と飽経風霜は経験が豊富な意味
百戦錬磨と飽経風霜はどちらもこれまでの人生において経験を多く積んでいるという意味があります。
したがって、そういった部分において、両者は似た意味となっているのです。
でも、百戦錬磨は戦いなどに関する経験ですけど、飽経風霜は世の中における苦労などに関する経験なので、その点においては大きな違いが存在しているのです。