「説教」と「法話」の違い・意味と使い方・由来や例文

B!

説教は「仏教で釈迦の教えを民衆に説くこと」。

「教え」と言い換えると分かりやすい。

法話は「仏教で釈迦の教えをより具体的な事柄にして民衆に話すこと」。

「具体的教え」と言い換えると分かりやすい。

「説教」は仏教などの宗教で教義や経典などを民衆に説き聞かせることです。

「法話」は日常的な出来事を中心に教義などと絡めて分かりやすく民衆に話すことです。

「説教」は教義や経典についての話のこと

「説教」は教義や経典にある言葉や文章について、どのようなものかをかみ砕いて分かりやすく民衆に説くことを言います。

少々堅苦しい感じのするものになります。

「今日の説教は般若心経にある色即是空についてのものだった」などと使います。

また、一般的には子供に対する小言や苦情のことを「説教」と言うことがあります。

大人に対しても先輩や上司が後輩や部下に行なうこともあります。

「法話」は具体例で話すこと

「法話」は日常の具体的な例を取り上げて、教義を分かりやすく説明することです。

人生の生き方に繋がる話が多くなります。

より和やかな雰囲気で堅苦しさはありません。

教義や経典にある言葉そのものではなく、具体的な出来事や考えを引き合いに出し、人生訓になるように話すことです。

寺によっては定期的に会を開いていることや、門前の掲示板に一言掲示することなどを行っています。

「説教」より「法話」が親しみやすい

「説教」はどうしても堅苦しくなりがちな話ですが、「法話」は日常の話題や考え方を採り入れるため、具体性があり納得し易く親しみを持てるものになります。

しかし、「法話」ですから仏教の教えや言葉も忘れずに織り込みながら話すことは忘れません。

それが無ければただの世間話となってしまいます。

「説教」は仏教のみならずキリスト教など他の宗教でも行われているものです。

「説教」と「法話」とは

「説教」は教義や経典の言葉や文章の解釈を中心とした話になります。

ですから、やや堅苦しさは否めません。

一般的に使う場合は、目上の者から目下のものに叱責や小言を言う場合に使われます。

「法話」は日常の話題などを中心に教義を織り込んで、具体的に人生訓となるように民衆に話すことです。

ためになる話と言うことで、門前の掲示板などにも掲示する寺があります。

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