「大儀」と「大義」の違い・意味と使い方・由来や例文

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大儀は「宮廷で行われる重要な式典のこと、即位式などのこと」。

「即位式」と言い換えると分かりやすい。

大義は「億劫だ、面倒だという態度のことまたは大儀名分のこと」。

「面倒」と言い換えると分かりやすい。

「大儀」は重要な儀式のことを言い、朝廷や宮中などで行われる大切な式典のことです。

例えば即位式が相当します。

「大義」は大義名分と使うことが多いです。

「大儀」は儀式のこと

「大儀」は宮中での重要な儀式を言いました。

それから昔の殿様が使った「ご苦労である」と言う意味の「大儀である、大儀じゃ」が派生しました。

儀式への参加は大変な苦労があるということに由来しています。

昔はそのように上から言われたら「ありがたき幸せ」と返したのです。

現代でもふざけて使うことがあり、同じように返答することが冗談に調子を合わせることになります。

「大義」は大義名分のこと

「大義」は大義名分と使い、物事の正当性や理屈に使います。

逆に私利私欲のために事を成すのは「大義」が無いことになります。

逆に少しでも正当性があれば、世の中の批判を受けても実行するのです。

「独特の理屈をつけて大儀名分と言い他国に侵攻する」「大義名分を失った闘いは虐殺である」などと使います。

「大義」も都合の良い「大義」もあるということです。

「大儀」と「大義」は「儀」と「義」の違い

「大儀」は「儀」に人偏があり人が行なうものになります。

「儀式、ご苦労様、億劫だ」などは人の行為です。

「即位式は大儀になる」「大儀であった」「何をするにも大儀だな」と使います。

「大義」は「義」を使い人が行なう場合の理由や正当性のことを言います。

「この戦いの大儀名分は何なのだ」「これは正当性がある大儀名分なのか」などと使います。

「大儀」と「大義」とは

「大儀」は即位式など宮中で行われる重要な儀式のことを言います。

また、昔の殿様が家臣に苦労をねぎらう場合に「大儀であった」と使うのは「ご苦労であった」と言う意味で使います。

「何をするにも大儀だ」は「面倒だ、厄介だ」と言う意味で使います。

「大義」は正しい理由、正当性、道義などを言い、「大義名分が必要だ」と使います。

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