「途方に暮れる」と「茫然自失」の違い・意味と使い方・由来や例文

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途方に暮れるは「できる手段がなくなってしまい、ぼんやりとした状況になること」。

やれることはすべてやったが、それでも事態が改善しないなどの状況により、意欲が完全に薄れてしまうケースで使っていく言葉です。

茫然自失は「気が抜けた結果、ぼんやりした状態になること」。

ぼんやりするという意味では途方に暮れると同じですけど、そこに至る経緯についてはいろいろな理由が考えられます。

「途方に暮れる」の意味

途方に暮れるとは、できる手段がなくなってしまい、ぼんやりとした状況になることです。

やれることはやったのに、特に結果が出なかったと言えるような状況において、やる気が一気になくなってしまった場面を指しています。

もうやれることはないと言えるため、これからの状況に対して希望を感じられない雰囲気が存分に漂っています。

「茫然自失」の意味

茫然自失とは、気が抜けた結果、ぼんやりした状態になることです。

何らかの出来事によって、気が抜けてしまい、頭がぼんやりした状態になったときに使います。

意識が不明瞭であり、誰かの問いかけにも反応しないといった様子が見られるときに使うことが多いです。

滅多に見られるシーンではないので、使う機会は多くないです。

「途方に暮れる」と「茫然自失」の用法や用例

「入試のためにたくさん勉強して、対策は万全だったはずなのに、手応えはイマイチなんだよな。

じゃあ、どうすればよかったんだとしか思えず、途方に暮れる状況となったよ。」

「滑り止めとして受けた大学がまさかの不合格だった。

完全に予想外の状況だったから茫然自失となってしまい、その日はずっとそんな状況が続いていたんだ。」

途方に暮れると茫然自失は似たような光景を表している

途方に暮れると茫然自失については、光景としては同じような状況と評価できます。

何らかの出来事により、ぼんやりとしている、やる気を失ってしまっているという状況で、何も手につかない、そんな雰囲気に見えます。

ただ、こういった光景は滅多に見るものではないので、両方ともそんなに頻繁に使う言葉ではないと言えるでしょう。

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