「万事休す」と「万策尽きる」の違い・意味と使い方・由来や例文

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万事休すは「もう施す手が一切残されていない状況のこと」。

やれることはすべてやり、他にやれることがないので、どうしようもないという諦めの気持ちが含まれた言葉と言えます。

万策尽きるは「ある問題を解決するための手段がもう残されていないこと」。

細かいニュアンスは異なるとしても、基本的な意味は万事休すとほぼ変わらないと評価できるでしょう。

「万事休す」の意味

万事休すとは、もう施す手が一切残されていない状況のことです。

やれることはすべてやったが、状況を変えることはできなかった、そして他に選べる手段がもう一切ないと言い切れるシーンで使っていく言葉です。

万事休すに関しては、他に手段が何も残っていないので、どうしようもないという諦めの気持ちが含まれた言葉と言えます。

「万策尽きる」の意味

万策尽きるとは、ある問題を解決するための手段がもう残されていないことです。

手段が何もない状況を表しており、その意味では万事休すとほぼ変わらないと言えるでしょう。

使用頻度に関しても万事休すとそこまで変わらず、やれることはすべてやったが何も効果がなく、他にとれる手段がないときには、どちらも割と使うことがあります。

「万事休す」と「万策尽きる」の用法や用例

「この投手を攻略するためにやれることはすべてやったと思う。

しかし、それでも全く打ち崩せる気配がない。

もうこれは万事休すと言わざるを得ない。」

「この問題を解くためにいろいろなアプローチを試みたが、どうやら無理そうだ。

万策尽きたと言える状況で、もう解けそうにないから、素直に諦めて別の問題に時間を使うべきだと思っている。」

万事休すと万策尽きるはほぼ同じ意味と捉えて良い

万事休すと万策尽きるという言葉は基本的には同じ意味です。

微妙にニュアンスが異なるとしても、区別すべきと言えるほどの状況ではないでしょう。

したがって、これらは全く同じ場面で使うことができると言えます。

使用頻度も同じくらいなので、どちらも見聞きする可能性があり、どちらを使っても構わないという意識でいると良いです。

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