「閉塞感」と「気詰まり」の違い・意味と使い方・由来や例文

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閉塞感は「解放感の無い様子のこと」。

「閉鎖的」と言い換えると分かりやすい。

気詰まりは「気を遣いすぎること」。

「気兼ね」と言い換えると分かりやすい。

閉塞感は閉鎖的空間になっている集団の中で起きやすいことです。

人間関係がうまくゆかず、気詰まりや気を遣うことが多くなり解放感の無いことです。

人間関係がフランクなものであれば気兼ねは必要なく楽しい関係が持てるのです。

「閉塞感」は人間関係

「閉塞感」は「閉じてふさがっていること」ですから、人間関係が通じていないこと、相手の思っていることが分からないこと、指示が不明確なことなどから、気を遣うことに繋がり自由にものが言えない閉鎖的な空間になってしまうのです。

そこに「閉塞感」が生まれます。

勿論「気詰まり」も生まれます。

つまり「閉塞感」は人間関係なのです。

「気詰まり」も人間関係

「気詰まり」は相手に自由にものを言えない雰囲気の集団で起きることです。

二人の間でも「気詰まり」は起きますが、話し合えば打ち解けるものです。

集団の中の「気詰まり」は簡単には解消しないものです。

特にワンマン経営ですと、何から何までお伺いを立てなければ物事が進みませんから、自由な雰囲気には到底ならないのです。

「閉塞感」は「気詰まり」

「閉塞感」があることは「気詰まり」があることです。

人間関係がうまくいかない状態ではお互いの意思疎通が図れず、「気詰まり」となるのです。

喧嘩をした恋人や夫婦の間では起きるものですが、すぐに解消します。

会社では複数の人が複雑に関係していることから、雰囲気はなかなか良くなりません。

そのような職場は「閉塞感」があり「気詰まり」もあるのです。

「閉塞感」と「気詰まり」とは

「閉塞感」はお互いの人間関係がうまくゆかずに意思疎通ができない状態のことです。

「気詰まり」でもあるのですが、その程度ならまだ良いので。

話もろくにしなくなると、閉塞感」はますます強くなり逃げ出したくなります。

上に立つものが関係していると事態は容易ではありません。

小さな集団・会社では良く起きることで、余程うまくしないとすぐに「閉塞感」「気詰まり」が漂うのです。

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