「幸運というのは焦ってもやってこない、だから気長に待つのが良い」という意味です。
果報は寝て待ての果報とは幸運という意味合いがありますけど、この果報に関しては仏教用語が由来となっています。
仏教では果報は因果応報のことを指しており、現在使われている意味とはやや異なっている面があるので、そこは注意なのです。
「果報は寝て待て」の意味
果報は寝て待てというのは、幸運は焦ってもやってこないのだから気長に待つのが良いという意味で、焦っても良いことはないという意味でも使われることがあります。
気長に待つという部分から、何もしないでただ待っていれば良いという意味で使う人もいますが、それは間違いです。
やるべきことをやったらあとは待てば良いという意味であり、何もしないでも気長に待てば幸運がやってくるという意味ではないのです。
「果報は寝て待て」の使い方
果報は寝て待てという言葉はやれることはやったと言えるようなケースにおいて、あとは吉報を待つしかないようなときに使います。
例えば、受験勉強をしっかりとやり、無事に入試も受けて、あとは合格発表を待つだけというケースでは、実際待つしかありませんし、焦っても仕方ないわけです。
こういった状況で使う言葉と言えます。
「果報は寝て待て」の例文
「受験勉強を1年間必死でやったし、入試においては実力は出せたと思う。
だから、受かっていても、落ちていても後悔はないと言えます。
あとは受かっていることを願うしかないので、果報は寝て待ての気持ちでいたいと思います。
焦っても結果は変わらないし、いい知らせが届くように、合格発表まで祈っていきたいと思っています。」
果報は寝て待てはやることをやってから使う言葉である
果報は寝て待てというのは、焦っても仕方がないのだから、やれることをやったあとは寝て待つくらいに気長に待つべきという意味の言葉なのです。
やれることをやってから使うという点がポイントで、最初からずっと待っているだけではいけないのです。
そういった部分を勘違いしないように使っていかないといけない言葉と言えます。