「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」とは、人の器の大きさを鳥になぞらえた故事成語が由来の言葉であり、「小さな鳥(燕雀)には、大きな鳥(鴻鵠)の考えがわからない」という意味の言葉です。
そこから転じて「志を高く持つ者の考えは、そうでない者には到底把握することができない」という意味を持つようになりました。
「燕雀」と「鴻鵠」と「いずくんぞ」の意味。
「燕雀」と「鴻鵠」と「いずくんぞ」の具体的な説明 150文字
さて、ではここに出てくる「燕雀」や「鴻鵠」とは一体なんのことを指すのかと言いますと、その漢字の通り「燕」は「ツバメ」を「雀」はスズメのことをあらわし、転じて器の小さい人を指します。
そして「鴻」とは「オオトリ」を「鵠」とは「コウノトリ」のことを呼びあらわし、そこから転じて器量の大きい人を指すようになりました。
また「いずくんぞ」とは漢文用語で「なぜ」や「どうして」といった疑問や反語をあらわす際に使われる言葉であり、推量系の助動詞を後に伴って使われます。
燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんやの具体的な意味。
先ほども説明させて頂いた通り、「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」とは「小さな鳥(燕雀)には、大きな鳥(鴻鵠)の考えがわからない」という言葉から転じて「志を高く持つ者の考えは、そうでない者には到底把握することができない」という意味を持った言葉として使われます。
また「小鳥のような狭い視野を持つのではなく、大鳥のように広い視野を持つことの大切さ」を説く言葉としても使われています。
燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんやの成り立ち・由来について。
「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」とは、元は前漢時代の中国について編纂された歴史書である正史「二十四史」の中の「史記」に記された言葉です。
秦の始皇帝が斃れた後の指導者として頭角を現した陳勝(陳渉とも)が雇われ農夫だった頃に、上記の言葉を彼をあざ笑った同僚の農夫に発した事が、このことわざの由来となりました。
燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんやの主な使い方ついて。
「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」の主な使い方としては、若い人に向けた餞(はなむけ)としての言葉や、励ましとしての言葉、または座右の銘としての使われ方が多いです。
その意味の通り「大きな鳥のような視野と志を持って、世の中に広く羽ばたいて行け」という応援や、「誰に笑われても気にせずに我が道を突き進め」という願いが込められています。