探究心は「物事の本質を探りながら、見極めようとすること」。
それぞれの物事における本質は何かについて探り、そのうえでどういう状況なのかについて見極めるケースで使います。
追求心は「物事をどんどん探っていく、深堀りしていくという気持ちのこと」。
探求心の意味に割と近いと言えるのではないかと思われます。
でも、追求心という言葉はあまり有名ではありません。
「探求心」の意味
探求心とは、物事の本質を探りながら、見極めようとすることです。
何らかの物事における本質がどんなものであるかについて、とにかく調べていく、探っていくという意味で使います。
最終的には見極めるという状況になると言えるでしょう。
日常生活でそこそこ見聞きする言い方になるので、割と馴染みは感じられるのではないかと思われます。
「追求心」の意味
追求心とは、物事をどんどん探っていく、深堀りしていくという気持ちのことです。
どんどん探っていくという意味があるので、探求心に結構似ている言葉になります。
でも、見極めるという意味は特にないので、そこは知っておきましょう。
使用頻度で言えば、探求心の方が恐らく高いと言えると思われますから、そこも覚えておくといいです。
「探求心」と「追求心」の用法や用例
「探求心を持っている状況においては、いろいろな物事に興味を持ち、その本質の部分について知りたくなる、見極めたくなってくるはずだ。
そういう気持ちはときには大切になるだろう。」
「物事に関して興味を持ち、深掘りしていくようなケースがあれば、それは追求心を持っていると評価できる可能性がある。
そういう行為をすることで、見えてくる部分はあると言えるはずだ。」
探求心と追求心は同じような意味と言える
探求心と追求心はともに物事について探っていくという意味が含まれています。
両者は意味は全く同じではないものの、似ている面はあるので、そこは知っておきましょう。
ただ、使用頻度に関してはそれなりに差がある状況です。
一般的には探求心の方がメジャーな言い方であり、追求心という表現はそんなに使われないので、そこはポイントです。