「名論卓説」と「高論卓説」の違い・意味と使い方・由来や例文

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名論卓説は「立派な議論や優れた考えや意見のこと」。

議論のみならず、考えや意見に対しても使用することができる点が特徴と言えるでしょう。

高論卓説は「普通の人では考え及ばないようなすぐれた意見のこと」。

議論という意味はありませんけど、普通の人では考えつかないような意見なので、優れた意見と評価でき、名論卓説と同じ意味と解釈できるでしょう。

「名論卓説」の意味

名論卓説とは、立派な議論や優れた考えや意見のことです。

議論や意見に対して賛辞を贈る際に使われる言葉であり、滅多に見られないような状況に対して使われます。

でも、優れた意見はともかくとしても、優れた議論という言い方はあまりされませんから、たいていは意見に対して使われることになるでしょう。

ここポイントになります。

「高論卓説」の意味

高論卓説とは、普通の人では考え及ばないようなすぐれた意見のことです。

多くの人たちには無理といった意味があり、特定の人にしかできない、思いつかない意見に対して使われる言葉です。

意味としては名論卓説とほぼ変わらないので、違いを見つけることは厳しいと言えます。

同様のシーンにおいて使っていくことが可能と評価できます。

「名論卓説」と「高論卓説」の用法や用例

「名論卓説と評価したくなるような意見が言える人がたまにいるが、そういう人材が社内にいると非常に安心感がある。

できるだけ優秀な人材をこれからも採用していく必要があるな。」

「これはまさに高論卓説だな。

誰も思いつかないような意見をさっと言える、これは素晴らしい才能だと思う。

私も君みたいな頭脳があればよかったんだけどね。」

名論卓説と高論卓説は本当に違いがない

名論卓説と高論卓説は基本的には意味は変わりません。

どちらも優れた意見などに対して使っていく表現と言えます。

だから、区別をすることは厳しいと言えるのではないかと思われるのです。

また、両者は使用頻度も大して変わらないため、そういう部分でも違いがないと評価できます。

どちらを使ってもいいと言える状況なのです。

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