「杞憂」と「心配」の違い・意味と使い方・由来や例文

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杞憂は「度が過ぎた無用の心配のこと、取り越し苦労のこと」。

「心配性」と言い換えると分かりやすい。

心配は「心であることを不安に感じていること」。

「不安」と言い換えると分かりやすい。

「杞憂」は中国の故事から来ている言葉です。

「空が落ちるのではないか、月や太陽が落ちて来るのではないか」と言う無用な心配のことを言ったもので、転じて「取り越し苦労」のことを言います。

「杞憂」は取り越し苦労のこと

「杞憂」は取り越し苦労、無用の心配を言います。

「台風が上陸して被害が出る心配は進路が反れて杞憂に終わった」「大地震の杞憂は杞憂では終わらない」「最悪の事態は杞憂に終わり、ほっとした」「杞憂とは昔中国の杞の国の人が憂えたこと」「杞憂とは空が抜けるというあり得ない心配のこと」「杞憂であってほしい」「杞憂に終わりそうだ」などと使います。

「心配」は心に掛ること

「心配」は心に生じる不安感のことです。

「年を取ると体が弱り、病気が必ず心配になる」「本当に心配性ね」「心配ばかりかけたね」「そんなに心配なら行ってみなさい」「親から見れば子供のことは一生心配だ」「心配には及ばない」「何をそんなに心配しているのですか」「心配をかけたのだからお詫びに行きなさい」などと使います。

「杞憂」は無用の「心配」のこと

「杞憂」も「心配」することですが、「心配し過ぎ・無用の心配・取り越し苦労」などの意味になります。

「心配」が「杞憂」に終われば良いのですが、そうなるとは限りません。

「杞憂した通りになってしまった」「大震災は杞憂した方が良い」「杞憂に終わらないことは珍しいことだ」「心配の大きいことを杞憂と言う」などと使います。

「杞憂」と「心配」とは

「杞憂」は「度の過ぎた心配・無用の心配・取り越し苦労」のことを言います。

「杞憂」は強く「心配」することで、「それは杞憂に終わる」と使います。

「杞憂は中国の春秋時代の故事から来ている言葉」。

また、「心配」は「心に起きる不安感のこと」を言います。

「地震が起きると大震災が頭をよぎる」「富士五湖の地震は富士山と関係があるかも知れないと心配した」などと使います。

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