一切衆生は「この世に生きるもののすべてのこと」。
生命を持っていると言える存在全てに対して使う言葉です。
仏教から生まれた言葉と言えます。
一切有情は「この世に生を受けたものすべてのこと」。
意味は一切衆生と基本的に変わりません。
区別をすることは厳しいと言えるはずです。
こちらも仏教から生まれた言葉なので、そこに関しても頭に入れておいた方がいいです。
「一切衆生」の意味
一切衆生とは、この世に生きるものすべてのことです。
この世で生きているものの全てなので、意味としてははっきりしている状況です。
仏教由来の言葉なので、日常生活で使う機会はあまり多くありませんが、この世に存在する生物すべてを表現する際には使われることがあります。
したがって、意味を知っておくと便利と言えるはずです。
「一切有情」の意味
一切有情とは、この世に生を受けたものすべてのことです。
意味としては一切衆生と何ら違いはないと言えるでしょう。
したがって、言葉自体も似ていますが、意味もかなり似ている感覚になるはずです。
こちらについても仏教由来の言葉であり、頻繁に使うとは言えませんが、生物のすべてを表現したいときに見聞きする可能性はあります。
「一切衆生」と「一切有情」の用法や用例
「一切衆生に関して思いを巡らすと、地球は非常に壮大な場所であることが分かる。
生き物の数というのは計り知れない状況だろうし、そんな場所に私たちは生きているんだな。」
「この世には人間以外にも多くの生物がいる。
そんな一切有情の存在について考えることは滅多にないが、たまにそういった考えを巡らせると特別な感情が芽生えてくる。」
一切衆生と一切有情は同じ意味
一切衆生と一切有情に関しては、意味は全く同じです。
違いは存在しないと捉えて問題ないでしょう。
ともに仏教から生まれた言葉であり、この世に存在する生きるもののすべてという意味があります。
ただ、こういう意味を表現する機会はあまり多くないですし、そのときにこれらの言葉が選ばれる機会も少ないので、実際に見聞きすることはほぼないでしょう。