「傍観」と「達観」の違い・意味と使い方・由来や例文

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傍観は「当事者ではないという立場から、特定の出来事などを眺めること」。

当事者ではないがゆえに、他人事のような感覚で見ることができる状況を指しているのです。

達観は「全体やこれからのことについて見通すこと」。

全体がどうなっているのか、これからどうなりそうかという部分について考えていく状況を達観と表現するのです。

「傍観」の意味

傍観とは、当事者ではないという立場から、特定の出来事などを眺めることです。

当事者ではないので、真剣に見る必要はなく、好きに眺めるだけという態度をとることができますが、そういった状況を傍観と表現します。

傍観に関しては、そういう態度を無意識にとっている人は世の中に山ほどいるので、珍しい扱いではないでしょう。

「達観」の意味

達観とは、全体やこれからのことについて見通すことです。

全体がどうなっているのか、これからどうなりそうかについて考えをめぐらすようなシーンで使われる言葉と言えます。

そういうシーンはそれなりにあるとは思われるものの、達観という言葉をあえて使うケースは多くないでしょう。

達観という言葉に馴染みがある人はほとんどいないと思われます。

「傍観」と「達観」の用法や用例

「このあたりで通り魔事件があったみたいで、さっきまで警察が捜査していたんだ。

たまたま私も通りかかったから、しばらくは傍観してしまったよ。」

「私のこれからの人生はどんな感じで進んでいくんだろうと達観してしまった。

未来のことは分からないわけだが、そういった部分については今のうちに考えておいた方が良いと思うんだよね。」

傍観と達観は意味自体が割と違う

傍観は第三者の立場から、他人事のような感覚で状況を見ることです。

傍観者という言い方がメジャーです。

達観は全体やこれからのことについて見通すことです。

したがって、両者は割と意味が異なっており、言葉は似ているものの、完全に別物と評価できます。

また、傍観はそれなりに使う可能性がありますけど、達観は使う機会はほとんどないと言えるため、そこでも違いがあるはずです。

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