「邪推」と「猜疑」の違い・意味と使い方・由来や例文

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邪推は「他人の何らかの物事に対して、悪い方向に推測すること」。

いろいろな推測ができる場合において、あえて悪い想像をするようなケースで使っていく表現になります。

猜疑は「他人の行動などに関して妬む、疑う状況であること」。

他人の行動をあえて悪く捉えるという意味で使います。

素直に理解しようとしないという意味があるのです。

「邪推」の意味

邪推とは、他人の何らかの物事に対して、悪い方向に推測することです。

悪い方向にあえて考えるという意味なので、そこはポイントになります。

いろいろな推測ができるとしても、その中で悪い方向に考えるため、通常の推測をするときには使いません。

したがって、邪推が使用できるシーンはそこまで多くないと言える可能性があります。

「猜疑」の意味

猜疑とは、他人の行動に関して妬む、疑う状況であることです。

他人の行動に関して、悪い方に捉えるという意味がありますから、邪推に似た意味を持っています。

無意識のうちにそういう捉え方をしてしまうことはよくあるでしょう。

したがって、多くの人たちに関係する言葉とも評価できそうです。

猜疑心という表現がよく使われます。

「邪推」と「猜疑」の用法や用例

「あの人に対しては、どうも邪推してしまうことが多々ある。

今までいろいろな嘘をつかれたことがあるから、そういった部分でどうも信用できないんだよな。」

「人間は誰しも猜疑心を持っている。

やはり妬んだり、疑ってしまうような部分というのは少なからずあるはずだ。

そういった状況をいろいろなシーンで経験していくことになるだろう。」

邪推と猜疑は似たような意味がある

邪推と猜疑に関してはともに他人に対して悪い捉え方をするという状況があります。

意味は同じではありませんが、似ていると評価できる可能性があるでしょう。

したがって、両者は同じような場面で使える可能性があります。

使用頻度はそこまで大きくは変わらないと思われるので、そういった部分で区別をすることは厳しいと言えると思われます。

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