「危なっかしい」と「覚束ない」の違い・意味と使い方・由来や例文

B!

危なっかしいは「危険が今にも迫ってきそうで、見ていて怖い状況のこと」。

たいていは自分ではなく、他人に対して使います。

危険な行為をしているとき、見ていて怖いと思うときに使う言葉です。

覚束ないは「ぼんやりしていること、上手くいくか不安である状況のこと」。

後者の意味は危なっかしいとほぼ同じです。

でも、ぼんやりしているという意味もあります。

「危なっかしい」の意味

危なっかしいとは、危険が今にも迫ってきそうで、見ていて怖い状況のことです。

基本的には他人に対して使っていく言葉になります。

他人が危険な行為をしていて、見ていて怖いなと思ったときに使うことが多いでしょう。

だから、危なっかしいという表現は自分に対して使用することは稀と評価できます。

そこは大きなポイントになるのです。

「覚束ない」の意味

覚束ないとは、ぼんやりしていること、上手くいくか不安である状況のことです。

ぼんやりしているという意味もありますけど、上手くいくか分からない、その状況に関して不安という意味でも使え、こちらについては危なっかしいと同じような意味と言えます。

でも、覚束ないの場合には不安に感じるのは自分自身であるケースも多々あると言えるでしょう。

「危なっかしい」と「覚束ない」の用法や用例

「あいつのゲームのプレイの仕方を見ていると、なんとも危なっかしいなと感じられる。

一応順調に進んでいるみたいだが、どこかで躓くんじゃないかと思えてくるんだよな。」

「とりあえず勉強はしているが、成果に関しては覚束ない状況と言える。

なんとなく理解できている気もするけど、完全には理解できていないから、ちゃんと試験で点をとれるか不安だな。」

危なっかしいと覚束ないはともに不安を感じさせる状況

危なっかしいと覚束ないはともに不安を感じる状況において使っていきます。

ただ、危なっかしいは他人の光景に対してそう思うときに使うことが多いですけど、覚束ないは自分に対して不安を感じるときに使用することが多いです。

似たような意味の表現になりますけど、区別すべき点はちゃんと存在していると評価できるはずです。

最新の記事はこちらから