「現を抜かす」と「憂き身をやつす」の違い・意味と使い方・由来や例文

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現を抜かすは「特定の物事に心を奪われて夢中になること、 気をとられてうっとりしてしまうこと」。

要するに、特定の物事だけが頭の中にあって、それ以外のことを考えることが難しい状況のことです。

こういう状況は誰もが経験しているはずです。

憂き身をやつすは「身がやつれるほどに苦労を重ねること、何かに夢中になること」。

後者に関しては、現を抜かすと同じ意味と評価できるはずです。

「現を抜かす」の意味

現を抜かすとは、特定の物事に心を奪われて夢中になること、 気をとられてうっとりしてしまうことです。

他の物事に気を取られてしまい、本来集中すべきことに集中できない状況を指しています。

この現を抜かすという表現はたまに使われるものですから、見聞きする機会はあるはずで、しっかりと意味を理解しておいた方がいいと思われます。

「憂き身をやつす」の意味

憂き身をやつすとは、身がやつれるほどに苦労を重ねること、何かに夢中になることです。

何かに夢中になるという意味もあるので、ここは現を抜かすと似ています。

ただ、苦労を重ねるという意味は違いと評価できるでしょう。

また、憂き身をやつすという表現自体、あまりメジャーとは言えないため、知らない人も多くいるはずです。

「現を抜かす」と「憂き身をやつす」の用法や用例

「あいつは何に現を抜かしているんだ。

さっきからずっとぼーっとしていて、仕事を全くしていないようにしか見えないのだが。

そんなに夢中になっているものがあるんだろうか。」

「私は今まで憂き身をやつすような人生を送ってきたと言えるだろう。

本当に幼い頃から苦労して、その連続だった。

ただ、今となっては苦労を苦労と思わない体質になってしまったが。」

現を抜かすと憂き身をやつすは意味が似ている

現を抜かすと憂き身をやつすはともに何かに夢中になるという意味があり、そういう部分においては似ている言葉と評価できます。

でも、憂き身をやつすには苦労を重ねるという意味もありますから、全く同じではありません。

また、両者は知名度に違いがあり、どちらかと言えば現を抜かすの方が有名ですから、そこは知っておきましょう。

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