「多生」と「他生」の違い・意味と使い方・由来や例文

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多生は「袖振り合うも多生の縁と使い、前世の因縁で出会うこと」「一期一会」と言い換えると分かりやすい。

他生は「多生の誤用で多少の意味に使うこと」。

「多少」と言うと分かりやすい。

多生は「多く生まれる」ですから、輪廻転生を繰り返す中で何回も生まれ変わっている意味になります。

「他生」は「多生」の誤用ですが「多少」と通じる言葉で「少し」と言うことです。

「多生」は輪廻転生

「多生」は輪廻転生により何回も生まれ変わっている意味ですから「袖振り合うも多生の縁」は「何度も生まれ変わっているうちに因縁となった人と現生で巡り合うことなので大事にするべき」「袖振り合うというささいなことも前世の因縁が関わっているので大切にするべき」などの意味になります。

「袖振り合う~」は「一期一会」の考え方です。

「他生」は誤用

「他生」は「多生」の誤用です。

「袖振り合うも他生の縁」となると「少しの縁がある」と言う意味に捕らえてしまいます。

本当は深い意味を持つ言葉なのですが、理解が出来ずに「多生=他生=多少」と短絡的な解釈してしまったのでしょう。

言葉としては定着していますが、本当の意味は知らないで安易に使っているものと思われます。

「他生=多少」は「多生」

「袖振り合うも他生の縁」と使っている人は「多生」が正しいとは夢にも思っていないかも知れません。

「少しの縁」と勘違いしているようです。

「多生」が正ししく、本来の意味を知ればきっとびっくりするのでしょう。

仏教用語は本来の意味から使いやすい意味にされている言葉も多いように感じます。

ですから「一期一会」と同じことを言っているのだとは思わないのです。

「多生」と「他生」とは

「多生」は輪廻転生と言う仏教思想から何回も生まれ替わること言います。

つまり「多く生まれる」なのです。

「袖振り合うも多生の縁」は多生の間に因縁となったことが現世に現れているのだから、少しのことも大切に扱わねばいけないという意味なのです。

「多生=他生=多少」と短絡的解釈で「少しの」と言う意味で使うことが定着していますが、当たらずとも遠からずと言えます。

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